院長あいさつ

 

 平成31年4月より、北純前院長の後を継ぎ、仙台赤十字病院の病院長をつとめさせていただいている舟山です。私は、国分町で生まれました。というと驚かれる方が多いと思いますが、生粋の仙台生まれの仙台育ちです。幼い頃はだだっ広い広瀬通を自転車で西公園まで通ってよく遊びに行きました。八木山の吊り橋をわたって球場にもいきました。弟は五橋の仙台赤十字病院で生まれました。その弟とは竜の口渓谷を探検したものです。大学卒業後は、長町にあった宮城第2病院(現、JCHO仙台南病院)で医者の卵として初期研修をさせていただきました。そんなわけで八木山、長町を中心とする太白区には思い出が沢山詰まっています。

 私の外科医としての専門は、大腸外科です。大学病院時代は難病の潰瘍性大腸炎やクローン病の手術を数多く手がけました。若い患者さんにとっては人生を決める手術ですので細心の注意が必要でした。その後、その技術を応用し大腸癌の世界に飛び込み肛門近くの直腸癌に対して「究極の肛門温存手術」といわれる括約筋間直腸切除術を確立し、人工肛門のない手術をめざしました。また、通常の施設では対処困難な難治性の直腸肛門疾患も手がけるようになり、排便障害に対する仙骨神経刺激療法では仙台赤十字病院が東北初の認定施設となり、東北各地から患者さんが訪れております。

 当院のミッションは「人道博愛に基づいて医療を行い、全ての人の尊厳をまもる」の理念にもとづき、高度専門医療、地域医療、災害医療を遂行することです。この原則をはずすことなく当院は医療を継続して参ります。

 当院の特徴は、従来からの伝統看板である総合周産期医療、宮城県有数の手術件数を誇る整形外科が挙げられますが、今後はさらにがん診療にも力を注いで行く所存です。そのために乳がん専門医を迎え、これまで行ってきた大腸癌をはじめとする消化器癌治療をさらに充実させていきたいと考えております。地域医療に貢献することは当院の最大の目標です。昨年度より救急医療体制を改善し、平日日中の救急は90%以上対応できるようになりました。当院の地域包括ケア病棟は、急性期を乗り越えた患者さんや、在宅では治療困難な患者さんを他院からも受け入れ、90%以上の高い在宅復帰率を達成しております。昨年は、多くの災害が日本を襲いました。北海道胆振東部地震では、当院からは計4つの救護班が出動し多くの被災者の支援を行いました。八木山地区では、八木山防災連絡会とともに大規模災害防災訓練を定期的に行うとともに、高齢者の健康指導などの協力を行っております。最近になり、宮城県沖地震の再来の可能性が高いことが報じられております。常に準備を怠ることなく災害に備えて参ります。

仙台赤十字病院
院長 舟山 裕士

 

仙台赤十字病院の歴史をひもとく

 仙台赤十字病院のロビーには、国際赤十字の創設者であるアンリデュナンの像があります。アンリデュナンはスイスの実業家でしたが、1859年にイタリア独立戦争での北イタリアでソルフェリーノの戦いに遭遇し、その悲惨さに衝撃を受けたのを期に、戦争の負傷者を敵味方なく救護する必要性を訴え、赤十字社を創設した人物です。赤十字社は1864年に設立されその後世界に広まっていき、アンリデュナンは1901年に初のノーベル平和賞を授与されております。日本では、佐賀藩の生んだ七賢人のひとりといわれる佐野常民が、1867年にパリ万博に派遣された際に、会場で国際赤十字の組織と活動を見聞し感銘を受け、その後、西南戦争において日本赤十字社の前身となる博愛社を設立しました。今回は、赤十字の成り立ちと、仙台赤十字病院の変遷についてご紹介したいと思います。

アンリ・デュナン 佐野常民

 

日本赤十字社の誕生

 西南戦争は、1877年に西郷隆盛が維新後におこした士族による武力反乱であり、官軍、反乱軍の双方に両軍合わせて1万4千人という多数の戦死者を出した。熊本市の北約10kmで、官軍と薩軍との大激戦がおこなわれ、その地の名をとって田原坂の戦いと呼ばれている。トムクルーズと渡辺謙の映画“ラストサムライ”は、この田原坂の戦いをモチーフにしたといわれる。当時、元老院議官の佐野常民は、傷病兵を救護するために、有栖川宮親王の許可を得て博愛社を設立し、敵味方なく戦傷者の救護にあたった。これは1877年5月のことで、博愛社はのちに1887年に日本赤十字社に改称され、翌年の会津磐梯山の噴火では初の救護活動をおこなっている。日本赤十字社は、西南戦争の戦傷者を救護する目的で結成された博愛社をもとに設立されたのである。

 

田原坂の戦い(小林永濯画、Wikipediaより)

 

仙台赤十字病院の設立

 仙台赤十字病院は、1924年(大正13年)10月18日に、日本赤十字社宮城県支部診療所として、仙台市北一番丁に開所されたこの地は、宮城県庁とは北一番丁を隔てた外記丁通にあたり、現在は、自治会館となっている場所である初代院長は佐藤基であった1933年、三陸沖を震源とし死者行方不明者3064人をだした昭和三陸地震においても救護活動をおこなっている1943年には仙台赤十字病院と改称し、内科、外科、小児科、眼科、耳鼻科、産婦人科、放射線科の150床となったしかし、1945年7月10日には仙台空襲により病院がすべて焼失したため、愛子国民学校ついで青根温泉に病院を移転した終戦により病院は仙台市内に戻ることになり、同年10月に東八番町(現在の仙台駅東口)の片倉製糸工場の一部を借用し病院を移転し、病床数100床の仮住まいとなった

 

日本赤十字社宮城県支部診療所

 

清水小路時代

 清水小路はいまでこそ道幅が広く交通量の多い道路であるが、伊達藩時代は清水が流れる閑静な屋敷町だったかつては五橋に湧出した清水が道の中央を広瀬川にむかって流れ、この地域の用水として用いられていたのが、清水小路の名の由来である五橋にはこの清水をまたぐように五つの橋がかけられており、そのまま地名となっているさらに用水は広瀬川方向に流れ(いまの新愛宕橋方向)、広瀬川の手前で左右にわかれ、土で盛った樋の中をながれ、この地が土樋と呼ばれる由来となった病院には藩政時代の清水小路の様子が残されている

 

仙臺藩政時代末頃の清水小路(想像図)熊谷羊山画

 

 戦後、病院復興の気運が持ち上がるも、資金、用地に難渋しなかなか決まらなかったが、地元の請願運動により清水小路に移転する計画が持ち上がった。1956年(昭和31年)8月清水小路に建築中であった新病院が完成し、内科、外科、小児科、眼科、産婦人科、耳鼻咽喉科、整形外科、皮膚泌尿器科、放射線科、歯科の合計200床の病院として、仙台赤十字病院併設県立仙台病院として新たに再出発となった。県立仙台病院は5年後には廃止され改めて仙台赤十字病院となった。

 病院予定地は、伊達家の家老山内氏が造園したとされる約三千坪の広大な日本庭園-清奇園-を有する大邸宅で呉服商の大内源太左ェ門氏の所有であったが、大内氏はなかなか売却に承諾しなかったと、地元住民の請願書に記載が残っている。その後、大内氏は庭園を保存するという条件で売却に応じたとされ、新病院は大きな池を中心にした庭園の外側を取り囲むように建てられた。現在は、仙台市福祉プラザが建っているが、庭園の一部はいまでも残されている。

 病院はその後6階建ての病棟が増築され最終的には、消化器科、循環器科、呼吸器科を加え計307床の総合病院となった。この頃より病院で出産をする人々が増え、当院の産婦人科でも多数の分娩がおこなわれていた。

 

清水小路時代の仙台赤十字病院
(旧仙台市立病院から西方を望んでの撮影と思われる。手前の道路が清水小路)

 

八木山へ

 清水小路の病院が手狭で病院の発展性に障害となることから、移転先を求めている矢先、1975年に仙台市は市立病院を東二番町(現タワービル)から清水小路(旧三島学園)に移転する計画をあきらかにした。近接地に二病院が併立するのは好ましくないとする仙台市は赤十字病院に移転を求めるとともに移転先を斡旋することとなった。移転先としては、市の南西部には、八木山団地が造成中であり、人口急増が予想されることと、この地区に総合病院がなかったこと、加えて地元住民からの誘致運動があがったことから八木山の市有地に移転が決まった。1978年に用地を買収してから総経費84億円、3年9ヵ月を費やして1982年4月に女川浩院長のもと八木山での新病院が病床数415床でスタートした。

 

八木山に開院当時の仙台赤十字病院(仙台赤十字病院誌1983より)

 

 新病院では、移転とともに県の支援を受け周産期医療に重点を置くこととなり、小児医療センターやNICU(新生児集中治療室)をあらたに開設した。2002年には、東北では初の総合周産期母子医療センターを開設し特色ある医療を推進している。当院では、内科とはべつに呼吸器科、循環器科、消化器科が清水小路時代より設置されており、専門性を重視した診療体制をおこなっていたが、とくに整形外科は現在では宮城県屈指の症例数を誇っている。職員駐車場と病院地下は道路を横断する地下道で結ばれているが、病院建設時に地下鉄駅建設を見越して工事を行ったものと伝えられている。

 病床数は人口増加にあわせて、平成6年には、結核病床を含めて計484床まで増加したが、結核の治療の進歩により平成21年には結核病床を閉鎖し一般病床400床とした。平成28年、一部を地域包括ケア病棟42床として開設し、計389床で運用しており、現在に至っている。

患者さんへ

 

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